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2007.09.24 Monday 01:30

幕末散歩(江差・其の一)

江差駅函館駅07:08分発、江差行き。
時刻表を確かめたあと、朝市でごはんにしました。わー!カニがいっぱいだ!きくよ食堂で海鮮丼をいただいたらイカの美味いこと美味いこと!イカもっと頼めば良かった。
江差までは約2時間半の旅です。多分江差まで乗ってた乗客は自分一人じゃないかな。大丈夫か江差線…。このへんの人はあんまり電車使わないのかしら…と思ったけど、そういえば北海道の人はほとんど車持ってるんだよね。ていうか車ないと生活できないよね。

開陽11866年(慶応2年)、幕府の発注によりオランダのエン・ゾーネン造船所で竣工した軍艦は、”夜明け前”を意味する「開陽」と命名されました。”夜明けの船”…「絢爛舞踏際」を思い出すなあ、何ていい名前だろう。榎本武揚らオランダ留学生を乗せて日本へやってきたのは慶応3年、大政奉還をめぐって幕府が揺れに揺れている真っ只中のこと。
ほどなく戊辰戦争が勃発し、開陽は脱走軍を乗せて函館へ。陸軍部隊を援護するために江差へ向かった開陽丸は、猛烈な嵐にあって座礁、沈没してしまいます。これが脱走軍敗北の大きな要因の一つとなりました。
復元された開陽丸の中には海底から引き上げられたものが多数展示されていました。引き上げ直後は腐食が激しかったようですが、一つ一つ丁寧に脱塩処理がされていて、綺麗な状態のものを見ることが出来ます。
開陽2売店で図録といっしょに「江差旅の本」というのを買ったんですけど、江差の歴史や伝説がコンパクトにまとめられていて面白かったです。これは行く前に読みたかったなー。
姥神大神宮という古い神社があって、最上徳内が江差へやってきた折に、神社に飾ってあった額の字を読み間違えて大変な騒動になったことがあるそうです。何やってんの最上徳内(笑
あと、鴎島の主は大ダコ(♀)で鴎島に嫁に来たんだそうですよ。大ダコの嫁!!何がどうなればそんな伝説が生まれるんでしょうか。
鴎島は、昔は本当に島だったそうですが、今は地続きになっていて歩いて渡ることができます。昔ニシン漁で栄えていた当時、江差の港は北前船で溢れていたそうで、船を係留した杭が鴎島のまわりに残っています。突端には幕府の砲台が設えられていたとのことですが、今は何もなく、朽ち欠けた東屋があるだけでした。
開陽丸終焉之地碑追分会館の裏に立つ開陽丸終焉之地碑。この場所の沖合い約100mのところに沈んでいるそうです。
右往左往
author : 遠野 | comments (0) | trackbacks (0)

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