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2007.05.12 Saturday 21:15

幕末散歩(日野)

ひの新選組まつり日野は丁度新撰組まつりでした。
そういえば昨日は土方さんの命日だったなーと思いながら、予定を変更して土方歳三資料館へ寄ってみることに。
ところでこのキャラ大変可愛いと思うんですけど、これでグッズとか作らないのかなあ。下手に土方さんや近藤さんの写真を使うより手にしやすいんじゃないかしら。(単に自分が欲しいだけ。)

矢竹土方さんが植えた矢竹です。
生家である土方歳三資料館では和泉守兼定の刀身が展示中でした。あの刀で何人も切ったんでしょうね。ボロボロになった柄糸と、刀身をいっしょに見ると何とも生々しい感じがします。刀が武士の魂であるならば、あれは土方さんの魂そのものなんでしょう。

モノレールで高幡不動へ移動。久しぶりに行ったら駅ビルがすっかり綺麗になっちゃって!かわいいお店もいっぱい入っていてびっくりです。
高幡不動尊は意外にたくさん幕末(新撰組)関連の史料があるんですね。軽く見てまわった後、駅前からバスで日野市役所へ。市役所の前が新選組まつりのメイン会場になっていました。いかにもうまげなB級グルメの数々を横目で見ながら、本日のお目当て市政図書室へと向かいます。
そしてよーやく江川坦庵全集とお目見え~。
古本だと結構なお値段になっているので、中身を見て自分のスキルに見合うかどうか確かめたかったのです。案の定自分の手には余る内容だったのであきらめがつきました…が、別巻だけはものすごく欲しくなっちゃった…。
だって坦庵さんの息子の英武さんの講演が載っているんですよ。息子さんがお父さんのことを語りまくっているわけですよ。うわー、もう、じっくり読みたい!
英武さんの言うことには、坦庵さんは特に器用というわけではなくて、とにかく何事もやるからには一定の水準に到達するよう努力すべきであるという信念があって、どうしても半端なことは出来ない性分だったんだそうです。ああもう、そんなんだから過労死しちゃうんだよ!

お祭の屋台でビールとサモサと玉こんにゃくを貪り食った後、すぐ近くにある新撰組のふるさと歴史館へ行きました。2月にも行ったんですけど、けっこう展示替えがあったようなので。
今日はさすがに見学者が多かったです。
右往左往
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2007.05.08 Tuesday 07:56

幕末散歩(渋谷)

渋谷で映画をハシゴ(「イノセント・ワールド(天下無賊)」→「かちこみ!ドラゴン・タイガー・ゲート(竜虎門)」)した後、代々木八幡の隣にある福泉寺へ行ってみました。
映画はそれぞれ反対方向に面白かったです。先週観た「BBプロジェクト」も良かったし、続けざまに面白い香港(&大陸)映画を観られて嬉しい。「竜虎門」のドニー兄さんの格好良かったこと!格好良すぎてあとの二人の存在意義がよく分からなくなってましたが、自分は途中でそういう映画なんだと思いなおして観ていたので、ドニー兄さんさえ格好良ければ全て良しです。

福泉寺さて福泉寺。
こちらの墓地には幕末の剣豪、江戸三大道場の一つ・練兵館の斎藤弥九郎のお墓があります。案内板などは特にありませんが、面白い形をしているのですぐに分かりました。
墓地は代々木公園を見下ろす静かな高台にあります。
代々木は斎藤弥九郎が隠居してから住んでいた土地で、お墓は最初小石川昌林院に作られましたが、その後代々木山荘のあった場所に近い福泉寺に移されたのだそうです。
坦庵さんのお家に行ってきた報告がてら、お参りしてきました。弥九郎さんももちろん、韮山は何度も訪れたんでしょうね。
右往左往
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2007.05.06 Sunday 21:04

幕末散歩(横浜)

開港資料館横浜開港資料館へやってきました。
2007年7月29日まで「横浜浮世絵-よみがえる幕末・明治のまちづくり」という企画展を開催しています。浮世絵を通して横浜の街の移り変わりを振り返る展覧会です。

たまくすの木資料館の中庭に大きく枝を広げる玉楠(たまくす)の木。ペリー提督がやってくる前からこの地にあり、大火や関東大震災で焼け落ちたりもしましたが、その度に新しく芽を吹いて今なお元気に葉を茂らせています。

日米和親条約締結の地碑資料館の方の説明によると、慶応2年の大火の後、耐火性に優れた建物にしなければならんということで、木骨+石組みの建物が造られるようになったんだそうです。ところがこれが地震にめっぽう弱かった。(木と石なんだからそりゃそうだろうという気もしますが…)
横浜に当時の建物がほとんど残っていないのはそういう理由だそうです。

写真は資料館の隣の公園にたつ、日米和親条約締結の地碑。

英一番館跡道路を隔てて向かい側にある、ジャーディン・マセソン商会、通称英一番館跡。
ジャーディン・マセソン社といえば昔アヘンで稼いだ大商社で、香港で午砲を打たされてる…くらいの認識しかないわけですが、こんな所にも足跡を残しているんですね。資料館で展示されていた浮世絵のいくつかにも、英一番館の建物が描かれていました。
ちなみに亜一番館(亜米一)はウォルシュ・ホール商会という会社だそうです。

象の鼻大桟橋の手前にある、通称「象の鼻」。幕末の頃から残る桟橋で、浮世絵にもたくさん描かれていました。
今は立ち入ることはできませんが、現在横浜市で整備中とのことですので、そのうちもっと近くで見られるようになるのかもしれません。
右往左往
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2007.05.05 Saturday 07:26

幕末散歩(韮山・其の二)

江川邸1反射炉から江川邸にやってまいりました。写真は薬医門と主屋。
パンフレットによると、1261年に家屋修築中の江川家を日蓮聖人が訪れた際、自筆の棟札を贈られたと伝えられているそうです。以来、修復等はあったものの、火災も出さず、震災にも耐え続けて700年以上。
今はありませんが主屋の隣りには代官所の役所があり、さらにその周りには役人の住む長屋や牢屋もあったそうです。

江川邸2ひろーい土間。パンを焼いたというかまども残っています。坦庵さんが焼いたというパンを復刻したものを買ってみましたが…主に兵糧にすることを目的に作っていたので旨いものではないというのは知っていましたが、旨い不味い以前に硬い!牛乳にひたしてやっと食べられたけど、兵糧じゃなくて武器の間違いじゃないの坦庵さん!

主屋の中には坦庵さんや江川家縁の品々が展示されています。
坦庵さんは非常な倹約家で作れるものは何でも手作りしていたといいますが、展示物の中には文箱や煙管や短刀、お皿までありました。しかも素人離れした精巧さ。
これを作る手間ひまを考えたら、もしかして買ったほうが節約になるんじゃないかと思ったのはここだけの話です。節約のためっていうよりか、単に坦庵さんがそういう細かい仕事が好きだったんじゃ…。
坦庵さんの有名なエピソードの一つで、手代の一人が娘さんのために蒔絵の硯箱を買ってくれたところ、「贅沢に育ててはいかん」と言ってそのへんの菓子箱に墨梅を描いて硯箱として与えたという、そのお手製硯箱も展示されていました。菓子箱に向かってちまちまと筆を走らせている坦庵さんを想像するとほんわかした気分になってしまいますね。娘さんにしてみれば「何すんだこの親父」という気分だったでしょうけど。

江川邸3大きなトチノキと、井戸の跡。井戸の水は江川酒を造る際にも使用されていたのではということです。元禄の頃まで造られていた江川酒は当時非常に有名になり、家康から褒美として家紋(井桁に菊)を贈られています。(菊が皇室とかぶるということで、明治以降は表立っては使用しなくなったそうです。)

裏門から見える富士山がすばらしく、松平定信(白河楽翁)が谷文晁を連れてきて描かせたと伝えられています。残念ながら絵は残っていないそうですが。この日は前述したとおりのいいお天気で、裏門越しに見る富士山はまさに一幅の絵のようでした。

江川邸4新緑の中庭。普段は非公開だそうですが、新緑と紅葉の時期のみ公開しているということです。
庭にある竹林には、ごくたまに表面だけ割れの入った竹が生えるんだそうです。千利休が花器にしたことから有名になり、珍重されたそうです。よーく探してみると確かに割れのあるものがありました。
坦庵さんはとにかく家にも庭にも手をかけない人だったので、その頃は荒れ放題だったんでしょうが、大変気持ちの良いお庭でした。
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2007.05.04 Friday 22:10

幕末散歩(韮山・其の一)

富士山温泉に浸かってたらふく食べて、寝て覚めたらこんなに快晴。
どう見てもでかすぎる富士山を横目に、伊豆長岡駅から反射炉まで歩きます。

韮山反射炉…地図で見ると歩けない距離ではないと思えたんですが、実際歩いてみたら結構きつい。大人しくバスを待てば良かったなあ。

嘉永6年6月にペリーが来航した後、幕府はあわてて海防の整備に乗り出しました。品川に台場を造ることを決め、設計と大砲の製作を江川太郎左衛門(坦庵さん)に命じます。坦庵さんは同年7月に幕府に対して大砲を鋳造するための反射炉築造の建議書を提出、12月に築造が始まりました。が、反射炉の完成を見ることなく安政2年に坦庵さんは病没。
完成したのは築造開始から四年後の安政4年のことでした。
反射炉の周りには大砲を造るための作業小屋が設けられていましたが、現在残るのは反射炉本体のみです。

本立寺2江川家の菩提寺、本立寺です。江川邸のすぐ近く(200m程だったかと)にあり、境内からは韮山の町を見下ろすことができます。

本立寺1江川家墓所。
老中からの呼び出しを受けて、病をおして寒中江戸へ向かった坦庵さんでしたが、江戸屋敷で床に伏したまま、とうとう登城することは出来ませんでした。うわごとで「登城する」「馬を用意しろ」と繰り返したといいます。享年55歳。
この写真の一番上の場所に、第36代英龍(坦庵さん)、37代英敏、38代英武と親子三人で眠っていらっしゃいます。英敏さんが若くして亡くなられたため、38代目も坦庵さんの息子が継ぎました。英武さんが太郎左衛門を継いだのは歳わずか12歳のことでした。
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