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2008.02.29 Friday 23:55

記念パピコ

うるう年記念に更新。
なんとか間に合ったよ…。

ちょっと目を離してる間に香港芸能界が大変なことになっていてびっくりです。

それからamazonで「ストレンヂア」のプロモムービーが配信されているんですが、冒頭5分間をそのまま配信という大盤振る舞い!
ぜひご覧あれ!
雑記
author : 遠野 | comments (0) | trackbacks (0)

2008.02.17 Sunday 22:05

幕末散歩(卯之町)

uno3.jpg宇和島から特急で約20分、宇和町卯之町にやってきました。
幕末の蘭方医、二宮敬作ゆかりの地です。
二宮敬作は伊予国磯崎浦(現八幡浜市保内町磯崎)に生まれ、シーボルトの下で医術を学びました。シーボルト事件で長崎を追われた後、故郷に戻り、卯之町で開業しています。写真はお家の跡。

駅前の商店街をぬけると、昔ながらの街並みが現れます。観光シーズンに外れていたこともあって、ことさら静かな雰囲気でしたが、宿場町だったそうですから当時はにぎやかだったんでしょうね。

街歩きの前にまずは先哲記念館へ寄りました。宇和町出身の著名人を紹介している記念館で、二宮敬作やシーボルトの娘・いねの縁の品も少し展示されています。二宮敬作が使っていたという、ガラス棒を並べた筆巻がかわいい。
宇和の散策地図が何種類か置いてあったのでいただいてきたんですが、「まちづくり友の会」さんによる手作り感あふれる地図が小ネタ満載で良かったのでお勧めです。

uno1.jpg uno2.jpg
宇和島を去ることになった高野長英が、同門の二宮敬作をたよって卯之町へやってきた時に隠れ住んだ離れが、二宮敬作居住地跡の裏手に残っています。(写真左。門の外からのみの見学になります。)
近くにもうひとつ、高野長英が匿われたことがあるという場所が残っていて、それが写真右の鳥居門があるお宅です。門を入ったところに匿われていた部屋が残っているそうですが、公開はされていませんでした。ちなみにこの門を作った庄屋の鳥居半兵衛は、門があまりに立派で不敬だということで庄屋を解任されたそうです。本当にあるんですねえ、こんな話。

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中町通りの街並みを抜けて開明学校へ。明治15年の建物で、中には昔の教科書や学習用具が展示されています。こちらでも敬作やいねが紹介されていました。
同じ敷地内には開明学校の前身の申義堂があります。明治2年に住民によって建てられた私塾だそうです。

会社用のお土産は卯之町に本店のある山田屋まんじゅうにしました。
慶応3年のある日、一人の巡礼を泊めた際に、手厚いもてなしの礼として主人に製法が伝えられたという面白い由来をもつおまんじゅうです。主人は巡礼のことを、信仰していた山田薬師が姿を変えていたのだと信じて「山田屋」の屋号で店を開いたのだとか。
ほとんど透きとおるくらいに薄い皮の、小さなおまんじゅうでした。つまりあんこの塊なんですが、あっさりしてて何個でも食べられそうな感じです。

タルト帰りは松山から空路だったので、ついでに松山城を見学してきました。
加藤家→蒲生家→松平家→久保家と、その時々の持ち主の家紋が混ざっているのが面白いです。写真はお茶屋さんでいただいたお抹茶とタルト。タルトは松平定行公がカステラを作ろうとしてゆず風味あんこのロールケーキになっちゃったという謎の一品。
まあ、人生時にはそんなこともありますよ、ドンマイ定行公!とエールを送りつつ、初めての四国を後にしたのでした。

…ポンジュースが出る蛇口には遭遇できませんでした。一足遅かった…orz
右往左往
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2008.02.16 Saturday 01:24

幕末散歩(宇和島)

四国3日目は午前中いっぱいかけて宇和島を目指します。
朝から雨…どころか、窪川に着いた頃には雪が降りだす始末。四国でまさかの初雪(自分にとって)となりました。寒さにふるえつつ窪川から各駅停車で2時間30分…。東北生まれのくせに寒さにはめっぽう弱いので、このまま降り続けたらと心配していたものの、宇和島に着く頃にはちょうど良い晴れ具合となりました。
ほっとしたところでまずは腹ごしらえ。観光案内所で郷土料理が食べられるお店を教えてもらい、定番のさつま汁とじゃこ天をいただきました。ねこまんま好きなのでさつま汁はもちろん美味かったし、じゃこ天も予想以上に美味しかったです。さつま揚げみたいなのを想像してたら全然違うんだー。買って帰った分もあっという間に食べきってしまいましたよ。また食べたいなあ。

uwajima1.jpgさてこちらは駅からすぐのところにある高野長英隠れ家跡です。
天保10年の蛮社の獄で捕らえられた長英が小伝馬町の牢を脱獄したのが弘化元年。それから全国各地を転々とした高野長英ですが、一時宇和島藩に匿われていたことがあります。
高野長英記念館のサイトによると、ここは家老桜田佐渡の別邸であったとか。しかし宇和島にいられたのも長くはなく、翌年1月にはこの地を去っています。石碑の揮毫は後藤新平によるものだそうです。

uwajima2.jpg次は前原巧山のお墓がある西江禅寺へ向かいました。
辰野川沿いは桜並木が続いているので、ここはぜひ春に行くべきだと思います。(冬に行っちゃったけど…。)
前原巧山は幕末の宇和島で蒸気船を建造した人です。元は嘉蔵という町人で、細工物を生業としていたそうです。具足を作ったり、仏壇を直したり、とにかく器用な人だったようで、それが評判となって藩の家老から車輪船を作れないかと相談されます。試行錯誤の末何とか成功した嘉蔵は士分にとりたてられ、その後長崎や薩摩で蒸気船の製造を学び、村田蔵六らと蒸気船を建造しました。長崎ではシーボルト・いねに会ったりもしたようです。安政6年には譜代にとりたてられたと「前原巧山一代噺」にはあります。なんというか、面白い人生ですね。これも幕末という時代のなせる業でしょうか。
お墓は墓地の奥まったところにあるので非常に分かりにくいです。入り口からまっすぐいって左に曲がって階段を少し降りたところ…だったような(汗。いやもう、素直にお寺の方に訊いたほうがいいですね。私もわざわざ案内していただきました。
uwajima3.jpgで、こちらが村田蔵六(大村益次郎)の住居跡です。神田川原というところで、写真奥に神田川が流れています。
村田蔵六は長州の出身ですが、嘉永6年から安政3年まで約2年半、宇和島に招かれて、蘭学の教授や海防の整備を任されていました。宇和島港の近くにある樺崎砲台は村田蔵六の設計によるものだとか。

村田蔵六の家から宇和島城へ向かう途中にある天赦園は、宇和島藩第7代藩主伊達宗紀が隠居所として建造した庭園です。藤棚がたくさんあるなあと思ったら、伊達家の先祖が藤原鎌足であることを偲んで設置されたものだということです。中でも橋のように池をまたいで架けられた藤棚は見事。冬だったのでもちろん花はありませんでしたが、咲いた様子を想像してため息が出ました。ここはぜひ藤の季節に行くべきです!(どないやねん)
uwajima4.jpg伊達博物館の前にある柳の木。文久3年に第8代藩主伊達宗城公が孝明天皇の賀茂神社行幸に随行したおりに、宮中からふるまわれた食事に柳の小枝が添えられていたそうです。それを持ち帰って植えたところ根付いたので、伊達家の庭園に植えて大切にしていたとか。その親木が枯れたので、幼木を育てたのが今あるこの柳だそうです。

uwajima5.jpg高知城のあとだと、どうしても小さいなーという印象がぬぐえない宇和島城ですが、築城当時のものがそのまま残っている貴重な天守閣であるとのこと。ただし山の上にあるので辿りつくまでが大変!お城勤めの藩士たちは毎日上まで登ってたのかと考えると気が遠くなりそうでした。
しかし頑張って登ったかいあって、天守閣からの眺めは素晴らしかったですよ!宇和島湾や歩いてきたルートがよく見渡せました。

疲れたので早めに宿に入ったんですが、部屋からはライトアップされた天守閣がよく見えました。
右往左往
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2008.02.10 Sunday 02:13

幕末散歩(高知・薊野)

azouno0.jpg薊野へ向かう前にちょっと寄り道。
山田橋から江ノ口川沿いをぶらぶら歩いていくと「ワラ工」の印がかわいい倉庫群が見えてきます。藁工倉庫という40年くらい前の建物で、今は倉庫ではなくお店が入っています。その一つ、雑貨屋兼ギャラリー兼カフェのgraffitiでランチをいただきました。
azouno00.jpg江ノ口川を眺めながらのランチはなかなか。
ところでこちらのギャラリーの次の展示が「ヱヴァの有る風景-ヱヴァンゲリオン・グッズ展-」だったのが非常に気になります。おしゃれな雑貨屋さんなのに何故エヴァ…。


azouno1.jpg薊野へはJRで1駅です。
墓地までの道は駅の前の案内板が分かりやすかったです。それと遠くからでもわかる沢田マンションの威容が目印。
真宗寺山には以蔵の他にもたくさんの著名人が眠っているようです。広い墓地なので入り口はたくさんあるんですが、沢マンに向かって右横の道を入ったところが分かりやすいかと思います。(というか他は絶望的に分かりにくいです。…実は迷った……墓地で迷子とかすごい怖いんですけど…。)保育園のちょっと手前に細い階段があるので、ひたすら道なりに登っていくと、ところどころにお墓の場所を示す案内があります。それを辿っていくと岡田家のお墓が並んだ一番端に、以蔵のお墓がありました。
岡田以蔵というと言わずと知れた人斬りですが、嫌悪感よりも憐れみの気持ちが強いですね…。いかにも使い捨てにされた感があって。あとは勝先生の用心棒をしていたエピソードが好きなんですよ。多分龍馬さんつながりだと思うんですけど、うっかり引き受けちゃうところに愛嬌を感じます。
お墓は意外に綺麗な状態でした。私が訪れた時にはお花も供えられていて、大事にされてる印象でした。

azouno2.jpgさて、こちらが日本の九龍城(?)、沢田マンションでございます。
沢田マンションてなんぞ!?という方はぜひぜひググってください。説明しろと言われても私には無理です。
ちょうど出先から戻ってこられた大家さんに言って、中を拝見させていただきました。
大家さんも住人も気さくな方ばっかりで、皆さんニコニコしながら挨拶を返してくれるのが嬉しかったなあ。皆さんホントに沢マンが好きなんですね。azouno3.jpg
うろうろしてると突然他人んちの庭先(ベランダ?)に出てしまったり、突き当たりかと思えばよくよく見ると奥の方に部屋があったり、突然階段が現れたり、いや突然現れる階段て何だよって言われても本当にそうなんですよ。まさにカオス。うわ、やばい、楽しい!
しかも屋上にクレーンが鎮座してるあたり、まだまだ付け足す気満々ですよ!
カフェをやってる方もいるようですので、一休みに寄ってみるのもいいかも。ただし開店していれば、ですけど。
右往左往
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2008.02.09 Saturday 23:01

幕末散歩(高知・郭中)

kouchi6.jpg高知城の南側にあった旧山内家下屋敷は、元治元年に山内容堂公が家臣七人の屋敷地を召し上げて建てたものそうだです。お屋敷を作るためだけに召し上げたんだとしたら家臣涙目ですね…。
現在は三翠園というホテルの敷地になっていて、当時のまま残っている長屋跡(写真奥)は無料で公開されています。しかも朝7時から開放されているというので、高知城へ向かう前に寄ることにしました。
1階は小さな部屋に区切られていて、両端に土間があり、中ほどにある階段から2階の大部屋に上がれます。土間や2階は共有だったんでしょうか。部屋の中にはちゃんと家具が置いてあったりするのが生活感が出ていて良かったです。

鏡川沿いに歩いて後藤象二郎誕生地→板垣退助誕生地を見学。上士はやっぱりお城の近くのいいとこに住んでたんですねえ。ところで板垣退助ってどういう人なんでしょうか。いえ、何をやった人かは学校で習う程度のことは知ってるんですが、上士のぼっちゃんと民権運動というのがどうもしっくりこないのです。この後自由民権記念館にも行ってみたものの、相変わらずもやもやしたまま。…勉強しないと駄目だなこりゃ。

板垣退助誕生地から天神橋通、大橋通を通ってひろめ市場の前を左にまがると武市瑞山殉節之地碑があります。土佐勤皇党の首領として捕らえられた武市半平太が、入っていた南会所の牢跡だということです。その近くには土佐勤皇党によって吉田東洋が暗殺された場所があって、まるで倒幕派と公武合体派の対立を象徴するような場所だと思いました。

kouchi7.jpg高知城へ向かうにはまだ早かったので、近くの喫茶店でモーニングをいただきながら9時になるのを待ちました。モーニングやってるところたくさんあっていいなあ。

高知城は本丸、二の丸、三の丸とあって、パンフレットによると本丸の建物が全部残っているのは全国で高知城だけだそうです。二の丸、三の丸も焼失などではなくて、明治6年にわざわざ取り壊したんだそうですよ。な、なんで…??維持も大変だとは思いますが、壊すのだってただじゃないでしょうにねえ…。
そういえば地元の日本酒のCMに山内家の現ご当主が出ていてびっくり!どんだけ人気者なんだ山内家(笑

kouchi8.jpg1時間ほどのんびり城内を散策した後、浦戸町へ。やはり碑はありませんが、浦戸町の説明板には河田小龍や長岡謙吉の名前がありました。
菜園場町の横堀公園というところには武市半平太邸跡及び道場跡の碑があります。説明によると、実際は碑が立っている場所より30mほど東の北側だったということなので、写真では奥の方になります。土佐勤皇党に参加した志士たちが集った場所です。
そしてそこから北西の方へ少し行くと、江ノ口川にかかる山田橋があります。昔番所があったそうで、中江兆民の誕生地もこの近くです。岡田以蔵が入れられた山田牢というのもこのあたりだったんでしょうか。だとしたら武市道場に近いこの場所で何を想っていたのか…。

この後は以蔵のお墓を訪ねて薊野へまいります。
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