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2008.02.17 Sunday 22:05

幕末散歩(卯之町)

uno3.jpg宇和島から特急で約20分、宇和町卯之町にやってきました。
幕末の蘭方医、二宮敬作ゆかりの地です。
二宮敬作は伊予国磯崎浦(現八幡浜市保内町磯崎)に生まれ、シーボルトの下で医術を学びました。シーボルト事件で長崎を追われた後、故郷に戻り、卯之町で開業しています。写真はお家の跡。

駅前の商店街をぬけると、昔ながらの街並みが現れます。観光シーズンに外れていたこともあって、ことさら静かな雰囲気でしたが、宿場町だったそうですから当時はにぎやかだったんでしょうね。

街歩きの前にまずは先哲記念館へ寄りました。宇和町出身の著名人を紹介している記念館で、二宮敬作やシーボルトの娘・いねの縁の品も少し展示されています。二宮敬作が使っていたという、ガラス棒を並べた筆巻がかわいい。
宇和の散策地図が何種類か置いてあったのでいただいてきたんですが、「まちづくり友の会」さんによる手作り感あふれる地図が小ネタ満載で良かったのでお勧めです。

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宇和島を去ることになった高野長英が、同門の二宮敬作をたよって卯之町へやってきた時に隠れ住んだ離れが、二宮敬作居住地跡の裏手に残っています。(写真左。門の外からのみの見学になります。)
近くにもうひとつ、高野長英が匿われたことがあるという場所が残っていて、それが写真右の鳥居門があるお宅です。門を入ったところに匿われていた部屋が残っているそうですが、公開はされていませんでした。ちなみにこの門を作った庄屋の鳥居半兵衛は、門があまりに立派で不敬だということで庄屋を解任されたそうです。本当にあるんですねえ、こんな話。

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中町通りの街並みを抜けて開明学校へ。明治15年の建物で、中には昔の教科書や学習用具が展示されています。こちらでも敬作やいねが紹介されていました。
同じ敷地内には開明学校の前身の申義堂があります。明治2年に住民によって建てられた私塾だそうです。

会社用のお土産は卯之町に本店のある山田屋まんじゅうにしました。
慶応3年のある日、一人の巡礼を泊めた際に、手厚いもてなしの礼として主人に製法が伝えられたという面白い由来をもつおまんじゅうです。主人は巡礼のことを、信仰していた山田薬師が姿を変えていたのだと信じて「山田屋」の屋号で店を開いたのだとか。
ほとんど透きとおるくらいに薄い皮の、小さなおまんじゅうでした。つまりあんこの塊なんですが、あっさりしてて何個でも食べられそうな感じです。

タルト帰りは松山から空路だったので、ついでに松山城を見学してきました。
加藤家→蒲生家→松平家→久保家と、その時々の持ち主の家紋が混ざっているのが面白いです。写真はお茶屋さんでいただいたお抹茶とタルト。タルトは松平定行公がカステラを作ろうとしてゆず風味あんこのロールケーキになっちゃったという謎の一品。
まあ、人生時にはそんなこともありますよ、ドンマイ定行公!とエールを送りつつ、初めての四国を後にしたのでした。

…ポンジュースが出る蛇口には遭遇できませんでした。一足遅かった…orz
右往左往
author : 遠野 | comments (0) | trackbacks (1)