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2008.02.16 Saturday 01:24

幕末散歩(宇和島)

四国3日目は午前中いっぱいかけて宇和島を目指します。
朝から雨…どころか、窪川に着いた頃には雪が降りだす始末。四国でまさかの初雪(自分にとって)となりました。寒さにふるえつつ窪川から各駅停車で2時間30分…。東北生まれのくせに寒さにはめっぽう弱いので、このまま降り続けたらと心配していたものの、宇和島に着く頃にはちょうど良い晴れ具合となりました。
ほっとしたところでまずは腹ごしらえ。観光案内所で郷土料理が食べられるお店を教えてもらい、定番のさつま汁とじゃこ天をいただきました。ねこまんま好きなのでさつま汁はもちろん美味かったし、じゃこ天も予想以上に美味しかったです。さつま揚げみたいなのを想像してたら全然違うんだー。買って帰った分もあっという間に食べきってしまいましたよ。また食べたいなあ。

uwajima1.jpgさてこちらは駅からすぐのところにある高野長英隠れ家跡です。
天保10年の蛮社の獄で捕らえられた長英が小伝馬町の牢を脱獄したのが弘化元年。それから全国各地を転々とした高野長英ですが、一時宇和島藩に匿われていたことがあります。
高野長英記念館のサイトによると、ここは家老桜田佐渡の別邸であったとか。しかし宇和島にいられたのも長くはなく、翌年1月にはこの地を去っています。石碑の揮毫は後藤新平によるものだそうです。

uwajima2.jpg次は前原巧山のお墓がある西江禅寺へ向かいました。
辰野川沿いは桜並木が続いているので、ここはぜひ春に行くべきだと思います。(冬に行っちゃったけど…。)
前原巧山は幕末の宇和島で蒸気船を建造した人です。元は嘉蔵という町人で、細工物を生業としていたそうです。具足を作ったり、仏壇を直したり、とにかく器用な人だったようで、それが評判となって藩の家老から車輪船を作れないかと相談されます。試行錯誤の末何とか成功した嘉蔵は士分にとりたてられ、その後長崎や薩摩で蒸気船の製造を学び、村田蔵六らと蒸気船を建造しました。長崎ではシーボルト・いねに会ったりもしたようです。安政6年には譜代にとりたてられたと「前原巧山一代噺」にはあります。なんというか、面白い人生ですね。これも幕末という時代のなせる業でしょうか。
お墓は墓地の奥まったところにあるので非常に分かりにくいです。入り口からまっすぐいって左に曲がって階段を少し降りたところ…だったような(汗。いやもう、素直にお寺の方に訊いたほうがいいですね。私もわざわざ案内していただきました。
uwajima3.jpgで、こちらが村田蔵六(大村益次郎)の住居跡です。神田川原というところで、写真奥に神田川が流れています。
村田蔵六は長州の出身ですが、嘉永6年から安政3年まで約2年半、宇和島に招かれて、蘭学の教授や海防の整備を任されていました。宇和島港の近くにある樺崎砲台は村田蔵六の設計によるものだとか。

村田蔵六の家から宇和島城へ向かう途中にある天赦園は、宇和島藩第7代藩主伊達宗紀が隠居所として建造した庭園です。藤棚がたくさんあるなあと思ったら、伊達家の先祖が藤原鎌足であることを偲んで設置されたものだということです。中でも橋のように池をまたいで架けられた藤棚は見事。冬だったのでもちろん花はありませんでしたが、咲いた様子を想像してため息が出ました。ここはぜひ藤の季節に行くべきです!(どないやねん)
uwajima4.jpg伊達博物館の前にある柳の木。文久3年に第8代藩主伊達宗城公が孝明天皇の賀茂神社行幸に随行したおりに、宮中からふるまわれた食事に柳の小枝が添えられていたそうです。それを持ち帰って植えたところ根付いたので、伊達家の庭園に植えて大切にしていたとか。その親木が枯れたので、幼木を育てたのが今あるこの柳だそうです。

uwajima5.jpg高知城のあとだと、どうしても小さいなーという印象がぬぐえない宇和島城ですが、築城当時のものがそのまま残っている貴重な天守閣であるとのこと。ただし山の上にあるので辿りつくまでが大変!お城勤めの藩士たちは毎日上まで登ってたのかと考えると気が遠くなりそうでした。
しかし頑張って登ったかいあって、天守閣からの眺めは素晴らしかったですよ!宇和島湾や歩いてきたルートがよく見渡せました。

疲れたので早めに宿に入ったんですが、部屋からはライトアップされた天守閣がよく見えました。
右往左往
author : 遠野 | comments (0) | trackbacks (1)