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2008.02.09 Saturday 23:01

幕末散歩(高知・郭中)

kouchi6.jpg高知城の南側にあった旧山内家下屋敷は、元治元年に山内容堂公が家臣七人の屋敷地を召し上げて建てたものそうだです。お屋敷を作るためだけに召し上げたんだとしたら家臣涙目ですね…。
現在は三翠園というホテルの敷地になっていて、当時のまま残っている長屋跡(写真奥)は無料で公開されています。しかも朝7時から開放されているというので、高知城へ向かう前に寄ることにしました。
1階は小さな部屋に区切られていて、両端に土間があり、中ほどにある階段から2階の大部屋に上がれます。土間や2階は共有だったんでしょうか。部屋の中にはちゃんと家具が置いてあったりするのが生活感が出ていて良かったです。

鏡川沿いに歩いて後藤象二郎誕生地→板垣退助誕生地を見学。上士はやっぱりお城の近くのいいとこに住んでたんですねえ。ところで板垣退助ってどういう人なんでしょうか。いえ、何をやった人かは学校で習う程度のことは知ってるんですが、上士のぼっちゃんと民権運動というのがどうもしっくりこないのです。この後自由民権記念館にも行ってみたものの、相変わらずもやもやしたまま。…勉強しないと駄目だなこりゃ。

板垣退助誕生地から天神橋通、大橋通を通ってひろめ市場の前を左にまがると武市瑞山殉節之地碑があります。土佐勤皇党の首領として捕らえられた武市半平太が、入っていた南会所の牢跡だということです。その近くには土佐勤皇党によって吉田東洋が暗殺された場所があって、まるで倒幕派と公武合体派の対立を象徴するような場所だと思いました。

kouchi7.jpg高知城へ向かうにはまだ早かったので、近くの喫茶店でモーニングをいただきながら9時になるのを待ちました。モーニングやってるところたくさんあっていいなあ。

高知城は本丸、二の丸、三の丸とあって、パンフレットによると本丸の建物が全部残っているのは全国で高知城だけだそうです。二の丸、三の丸も焼失などではなくて、明治6年にわざわざ取り壊したんだそうですよ。な、なんで…??維持も大変だとは思いますが、壊すのだってただじゃないでしょうにねえ…。
そういえば地元の日本酒のCMに山内家の現ご当主が出ていてびっくり!どんだけ人気者なんだ山内家(笑

kouchi8.jpg1時間ほどのんびり城内を散策した後、浦戸町へ。やはり碑はありませんが、浦戸町の説明板には河田小龍や長岡謙吉の名前がありました。
菜園場町の横堀公園というところには武市半平太邸跡及び道場跡の碑があります。説明によると、実際は碑が立っている場所より30mほど東の北側だったということなので、写真では奥の方になります。土佐勤皇党に参加した志士たちが集った場所です。
そしてそこから北西の方へ少し行くと、江ノ口川にかかる山田橋があります。昔番所があったそうで、中江兆民の誕生地もこの近くです。岡田以蔵が入れられた山田牢というのもこのあたりだったんでしょうか。だとしたら武市道場に近いこの場所で何を想っていたのか…。

この後は以蔵のお墓を訪ねて薊野へまいります。
右往左往
author : 遠野 | comments (0) | trackbacks (0)