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2007.09.23 Sunday 01:06

幕末散歩(函館・其の二)

千代ヶ岡陣屋跡中島三郎助親子最期の地、千代ヶ岡陣屋です。

市電の千代ヶ台駅で下車すると、すぐ近くに野球のスタジアムと陸上競技場があって、競技場の前のあたりに千代ヶ岡陣屋跡の案内板があります。
元浦賀与力中島三郎助──ペリーが来航した際、最初に交渉にあたったのがこの人でした。西洋兵学に通じ、下曽根金三郎から高島流砲術も伝授されています。西洋船の建造にも尽力し、浦賀で日本最初の西洋船「鳳凰丸」を作ったり、それがきっかけで戸田に行ったり、長崎の海軍伝習所の訓練生になったりもしています。勝海舟とはソリが合わなかったといいますが、実際どうだったんでしょう。日本の将来を憂いていたということでは変わりはないんでしょうけどね。勝さんも中島さんも、榎本さんも。
千代ヶ岡陣屋の守備となった中島三郎助は再三の降伏勧告にも応じず、とうとう5月16日、長男の恒太郎、次男の英次郎ともども討ち死にしました。脱走軍が降伏したのは二日後の18日のことだったといいます。
案内板から少し西のグリーンベルトの中に中島三郎助父子最後之地碑が立っています。

五稜郭千代ヶ岡陣屋から歩いて五稜郭へ向かいました。
自分の足で歩いてみると距離感がよく分かります。五稜郭に辿り着くころにはすっかりくたびれてしまいましたけど。
五稜郭では奉行所の復元工事の真っ最中でした。市立函館博物館五稜郭分館に展示されていた見取り図によると随分広い建物だったようですが、どこまで復元するんでしょうか。
安政元年、開港にあたって幕府は箱館を直轄地とし、箱館奉行を置くことにしました。同時に防衛強化のために弁天台場と五稜郭の建設が進められます。設計を担当したのは緒方洪庵門下であった武田斐三郎。石垣の工事を請け負った備前の石工・喜三郎という人は、品川台場の建設にも参加した人だそうです。へえー。それと建材は秋田の能代から持ってきたものだとか!へえー!思わぬところで故郷と関係する物事に出会うと嬉しいなあ。
ところで当時箱館奉行の一人であった村垣淡路守範正という人、後にポーハタン号で副使としてアメリカに渡った人でもありますが、初めて写真を見たらやたら美形でびっくりです。

六花亭五稜郭近くの六花亭にはカフェがありました。メニューは和テイストのスイーツが中心で、写真はおしるこフロートです。おしるこドリンクが甘さ抑え目でさっぱりしていて美味しい。
六花亭といえば私はアーモンドヤッホーが好きなんですが、何故か土産物屋の六花亭コーナーにはないんですよね。ここでようやく見つけました。作ってないわけじゃなかったんだ…。
普通のアーモンドチョコレートが何故「ヤッホー」なのかは永遠の謎ですが、とにかく一度食べ始めたらやめられない美味しさなのです。昔会社に持ってったら自分で一粒も食べないうちに空になっていたことがあるくらい。
右往左往
author : 遠野 | comments (0) | trackbacks (0)