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2007.05.05 Saturday 07:26

幕末散歩(韮山・其の二)

江川邸1反射炉から江川邸にやってまいりました。写真は薬医門と主屋。
パンフレットによると、1261年に家屋修築中の江川家を日蓮聖人が訪れた際、自筆の棟札を贈られたと伝えられているそうです。以来、修復等はあったものの、火災も出さず、震災にも耐え続けて700年以上。
今はありませんが主屋の隣りには代官所の役所があり、さらにその周りには役人の住む長屋や牢屋もあったそうです。

江川邸2ひろーい土間。パンを焼いたというかまども残っています。坦庵さんが焼いたというパンを復刻したものを買ってみましたが…主に兵糧にすることを目的に作っていたので旨いものではないというのは知っていましたが、旨い不味い以前に硬い!牛乳にひたしてやっと食べられたけど、兵糧じゃなくて武器の間違いじゃないの坦庵さん!

主屋の中には坦庵さんや江川家縁の品々が展示されています。
坦庵さんは非常な倹約家で作れるものは何でも手作りしていたといいますが、展示物の中には文箱や煙管や短刀、お皿までありました。しかも素人離れした精巧さ。
これを作る手間ひまを考えたら、もしかして買ったほうが節約になるんじゃないかと思ったのはここだけの話です。節約のためっていうよりか、単に坦庵さんがそういう細かい仕事が好きだったんじゃ…。
坦庵さんの有名なエピソードの一つで、手代の一人が娘さんのために蒔絵の硯箱を買ってくれたところ、「贅沢に育ててはいかん」と言ってそのへんの菓子箱に墨梅を描いて硯箱として与えたという、そのお手製硯箱も展示されていました。菓子箱に向かってちまちまと筆を走らせている坦庵さんを想像するとほんわかした気分になってしまいますね。娘さんにしてみれば「何すんだこの親父」という気分だったでしょうけど。

江川邸3大きなトチノキと、井戸の跡。井戸の水は江川酒を造る際にも使用されていたのではということです。元禄の頃まで造られていた江川酒は当時非常に有名になり、家康から褒美として家紋(井桁に菊)を贈られています。(菊が皇室とかぶるということで、明治以降は表立っては使用しなくなったそうです。)

裏門から見える富士山がすばらしく、松平定信(白河楽翁)が谷文晁を連れてきて描かせたと伝えられています。残念ながら絵は残っていないそうですが。この日は前述したとおりのいいお天気で、裏門越しに見る富士山はまさに一幅の絵のようでした。

江川邸4新緑の中庭。普段は非公開だそうですが、新緑と紅葉の時期のみ公開しているということです。
庭にある竹林には、ごくたまに表面だけ割れの入った竹が生えるんだそうです。千利休が花器にしたことから有名になり、珍重されたそうです。よーく探してみると確かに割れのあるものがありました。
坦庵さんはとにかく家にも庭にも手をかけない人だったので、その頃は荒れ放題だったんでしょうが、大変気持ちの良いお庭でした。
右往左往
author : 遠野 | comments (0) | trackbacks (0)