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2007.05.04 Friday 22:10

幕末散歩(韮山・其の一)

富士山温泉に浸かってたらふく食べて、寝て覚めたらこんなに快晴。
どう見てもでかすぎる富士山を横目に、伊豆長岡駅から反射炉まで歩きます。

韮山反射炉…地図で見ると歩けない距離ではないと思えたんですが、実際歩いてみたら結構きつい。大人しくバスを待てば良かったなあ。

嘉永6年6月にペリーが来航した後、幕府はあわてて海防の整備に乗り出しました。品川に台場を造ることを決め、設計と大砲の製作を江川太郎左衛門(坦庵さん)に命じます。坦庵さんは同年7月に幕府に対して大砲を鋳造するための反射炉築造の建議書を提出、12月に築造が始まりました。が、反射炉の完成を見ることなく安政2年に坦庵さんは病没。
完成したのは築造開始から四年後の安政4年のことでした。
反射炉の周りには大砲を造るための作業小屋が設けられていましたが、現在残るのは反射炉本体のみです。

本立寺2江川家の菩提寺、本立寺です。江川邸のすぐ近く(200m程だったかと)にあり、境内からは韮山の町を見下ろすことができます。

本立寺1江川家墓所。
老中からの呼び出しを受けて、病をおして寒中江戸へ向かった坦庵さんでしたが、江戸屋敷で床に伏したまま、とうとう登城することは出来ませんでした。うわごとで「登城する」「馬を用意しろ」と繰り返したといいます。享年55歳。
この写真の一番上の場所に、第36代英龍(坦庵さん)、37代英敏、38代英武と親子三人で眠っていらっしゃいます。英敏さんが若くして亡くなられたため、38代目も坦庵さんの息子が継ぎました。英武さんが太郎左衛門を継いだのは歳わずか12歳のことでした。
右往左往
author : 遠野 | comments (0) | trackbacks (1)